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【雑記】サブカルチャーの解説動画が苦手な話

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「ファスト映画」の投稿者に逮捕者が出始めたことが少し話題になったことは、もしかしたら耳に挟んだことがあるかもしれません。

 

「ファスト映画」は何となく名前で察する通り、映画本編を10分程度の映像に収め、そこにシナリオの始まりから終わりまでを簡単に説明した音声・字幕を載せた動画のことです。

 

僕は見たことが無いのでその出来の是非は言えませんが、かなり視聴を望めるコンテンツであり、視聴数は稼げるようです。

 

映画に限らず、同じようなコンセプトで作られた動画というのは良く見かけます。

 

アニメ、小説、そしてゲームも。

「ファスト」系の動画もあれば、その内容を解説する「解説動画」もあります。

 

「解説動画」は「ファスト」とは少し違い、シナリオの簡易説明ではなく作品内の描写や謎・伏線等を、動画投稿者が自分でまたは参考資料を用いて解説した動画を指します。

 

「〇○(キャラクタ名)が~した理由解説!」や「●●(作品名)がヒットした理由3選」、「●●の描写に隠された制作者の意図とは!?」みたいな動画を見かけないでしょうか。

それです。

 

僕は、この「解説動画」を名乗る動画群が苦手です。

 

今回は、その理由を自分の中で探して、見つけたので書きたいと思います。

 

 

 

それは一視聴者の妄想

解説動画を投稿している人は、名のある著名人だろうが名のない一般人であろうが、その作品の制作に関わったことのない人であれば、それはただの一視聴者です。

 

制作は関わっていない人がその作品について解説できるものなのでしょうか。

 

どれだけ作品内にそれを示唆する描写があろうと、どれだけそれを想起させるシナリオであろうと、制作者では無いのならこれだ!と断定して解説することなんてできません。

 

それは動画投稿者の唯の妄想です。

そうなのではないか?そうであったら面白い、という願望です。

 

著名人であろうが、と書きましたが最近はメディアに顔を出す有名人が動画サイトで自分のチャンネルと持つことも当たり前になりました。

 

その有名人が同じような解説動画を投稿しているのも見たことがあるのですが、それらも同様です。

唯の妄想です。

投稿者がどれだけ皆が知っている人であっても。

 

仮に同じ内容で動画を作成・投稿するならば「解説」ではなく、「感想」でしょう。

「こういう描写があったんだけど、私はこう思うんだよね」という話ならば、何の違和感もなく視聴できます。

 

それを、「こうである」と言い切って「解説」しているのは何様なのか。

 

もちろん、これは動画投稿者が制作者本人もしくは制作者と関わりのある人であれば問題ないということになります。

制作者本人が自分の作品を解説、というのは恐らく無いでしょうが、関わりのある人が制作者の言葉を交えて話している動画ならば、違和感なく視聴できるでしょう。

 

視聴者の知識欲を浅く満たす

 解説動画を見る人は、誰か。

 

それは該当の作品を観ていない、もしくは観たけど内容を上手く理解できなかった人ではないでしょうか。

 

先に挙げた有名人の動画ならば、その人が好きだからという理由も入るかもしれません。

 

作品を観てその内容を自分の中で考え、整理できた人ならばそのような動画を見る必要はありません。

「解説」されるまでもないのですから。

 

解説動画を見た人が、動画投稿者の妄想をあたかも揺るがない事実のように受け止め自分を納得させている姿は、悪いとは言いませんが何だか歪です。

 

世はSNS時代、見るつもりが無くても「△△(動画投稿者)さんの解説動画見た!●●はこれで完璧」だったり「疑問に思ってたところが△△の動画で解決した」等の発言を、よく見かけます。

 

疑問に思ったことはすぐ調べることのできる現代だからこそこのようなことが起こるのだと思いますが、身近な答え(らしきもの)に飛びつきそれだけで納得するのは勿体ないです。

 

これは「解説」動画という動画タイトルにも問題があります。

「解説」と銘打たれると、有識者が知識やエビデンスを基に説明していると勘違いする層もいるからです。

さきほどのSNSでの発言者はそのきらいがあります。

 

想像力を阻害し、視聴者の知識欲を「浅く」満たしてしまう解説動画は、その意味でも「感想」に留めるべきだと思います。

 

動画投稿者は誰なのか

苦手と言ったからには、その原因があるものです。

僕は解説動画を名乗る動画を少し見たことがあります。

 

例を挙げると『「ドラゴンクエスト」の厄介な敵解説』という動画だったのですが、それは名の通り「ドラゴンクエスト」で登場する、プレイヤが厄介だと思うようなモンスターを説明した動画でした。

 

パワーポイントで作ったような図解を用いた構成で見やすいと思ったのですが、投稿者の喋り方が苦手だったんです。

 

まるでニュースキャスターのように、モンスター毎の説明を淡々と喋って感情の起伏を感じられない。

投稿者はどう思っているのか、そもそも投稿者がどんな人なのか全くわかりません。

台本を読んでいるみたいなその無感情な喋りが不気味でした。

 

他にも解説動画を名乗る動画をいくつか見ましたが、やはり台本を読んでいるような喋り方が目立ちます。

「解説」を名乗っている以上、事実(と思っているもの)を淡々と告げるスマートな構成が好まれているのかもしれませんが、投稿者の人となりが分からないのははっきり言って怖いです。

 

「感想」動画ならば「あの場面は本当に感動した!」と投稿者の想いや性格がその喋りに出やすいのですが、それだと解説ではないのでダメなのでしょう。

 

ただ、中には「解説」を名乗っている動画でも投稿者の思いを感じられる動画はありました。

この場合、内容もあくまで作品のガワ・魅力だけ紹介して作品自体の視聴を促すものが多く、これらの動画はかなり好感度高かったです。

「紹介」というタイトルでも良い気はしますが。

 

動画投稿者が誰なのか掴めない。

これも解説動画が苦手な理由です。

 

最後に

「ファスト映画」に一定の視聴者が付いていたように、「解説動画」にも視聴者は多くいます。

 

読むのに時間がかかる小説、1話30分のアニメ、クリアまで何時間もかかるゲーム。

これらに時間を割くつもりは無いが、話題になっているので押さえておきたい、と考えている層はあるのです。

 

しかしそれに何の意味があるのでしょう。

他人が、しかも誰かも分からないような他人が淡々と告げた内容を事実と受け止め吹聴する事に、何の意味があるのでしょう。

 

論理的で無くとも、自分で知り考え導き出した答えにこそ価値はあるものです。

そこに参考資料として他者の考えがある、というのが自然な形です。

 

「知れてしまう」という現代の仕組みと「解説動画」は、価値あるものの誕生を阻害してしまうのではと、危惧してやまないものであります。

 

それでは、今回はここまで。

 

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