【雑記】biomutantの日本語修正は必要なのか?
ナレーションの頻度を下げるだけではダメなのか。
THQ Nordicの開発姿勢
販売本数が100万本を達成したことで話題に上がった「Biomutant」。
このブログでも感想記事を書かせていただきましたが、評価すべき点と改善すべき点がはっきりとした作品でした。
クリアした後は触っていなかったのですが、開発元のTHQ Nordicは定期的にアップデートを行っていたようです。
その姿勢と対応は素晴らしいものです。
そして9/3にパッチ1.6が公開され、また様々な改善がされたようです。
こちらの公式サイトの更新内容は、既存の不具合の改善が主だったのですが、各種ゲーム情報サイトに気になる記載がありました。
※今回のアップデートには日本語の修正は含まれておりません。ただいま日本語の修正、吹き替えの再収録を行っております。日本語修正版の提供時期につきましては続報をお待ちください。
日本語の修正?
このゲームの翻訳に誤訳があったということか、と思ったのですがそうではないようです。
この作品が登場した時、散々言われていたナレーションの修正でした。
翻訳文とはこういうもの
この修正はパッチ1.4が公開された時から準備中であることを公表していたようで、前々から対応するつもりだったことが伺えます。
これを見た時「なぜそこまでするのか」という感想がまず浮かびました。
確かにナレーションが冒険の途中で頻繁に挟まるため、最初は違和感が凄かったです。
が、そのうち「FALL OUT」シリーズのラジオのように聞き流すようになって気にならなくなりました。
ナレーションの内容についても、英語を訳したら回りくどい表現になることはあると分かっているので、こんなものかと思っていました。
修正というのは、この回りくどい部分のことを言っているのでしょうか。
それともファンタジーにありがちな固有名詞が頻発することについての修正でしょうか。
しかしこちらを修正すると、設定が崩れてしまうのでやはり表現の部分ですか。
翻訳文とはこういうものでしょう。
外国小説にもっと読みやすいものはありますが、それは翻訳者がある程度読みやすいように改変しているものがほとんどです。
外国小説の翻訳者あとがきを見るとよく分かります。
ここを修正するとなると、原文に書かれていた内容を削る必要があります。
そうなると、意味が変わらないまでも伝わりきらない部分も出てくるでしょう。
それは本当に必要な修正なのかと考えると、微妙なところですね。
しかし、伝わらなければ意味がない
ただ、伝わらない部分が出てきたとしても、そもそも原文で伝えたかったことが全く感じ取れなければ意味はありません。
少し前に宇多田ヒカルさんが庵野秀明さんと対談されたインスタライブの様子がyoutubeに上がっていたのですが、ここで話されていたことが今回の内容に少し通じるものがあります。
50:30頃~
「伝わらなくちゃ意味が無いと思って作っている」
庵野さんの発言と同意する形で、宇多田さんはそうおっしゃっています。
彼らは芸術作家として、表現者としてトップクラスの方々。
観客も大勢いるので余計この考えは大事なのだと思います。
自分が「表現したい」と思って作っても、それを見た人が「表現したい」ものを感じ取れなければ意味が無い。
今回の日本語修正についても、外国小説や翻訳事情なんて関係なくあらゆる人にナレーションが伝えたいものを感じ取れるようにしたい、という開発元の意思があると思います。
ナレーションの頻度を下げるだけではなく、日本語訳の修正と吹き替え取り直しまで決行したTHQ Nordicは表現者としても素晴らしいです。
これからの作品にも期待しております。
それでは、今回はここまで。