【雑記】ゲームを規制することについて
「ゲーム脳の恐怖」という書籍はご存じでしょうか。
2002年に日本大学の教授さんが日本放送出版協会から出版した著書です。
ゲームを毎日のようにやっている人の脳は、認知症患者の脳と同じような状態になってしまっている、という主張をはじめゲームの危険性とその影響を解説しています。
内容には様々な突っ込みどころがあるようなのですが、2006年時点では生活人新書の中で一番の売り上げを出していたようです。
つまり、多くの人に興味を持たれ、読まれたということです。
この他にもゲーム(漫画やアニメ等も)はたびたび世間から批判される対象になってきました。
犯罪を実行した若者は対戦ゲームを好んでいたと報道されたり、残虐な描写がある作品が犯罪助長になると槍玉に挙げられたり。
(こういう報道では、ひぐらしを良く見かけました。)
なので、ゲームは取り締まるべきという考えを持つ人は良くいました。
子供の頃に「ゲームは一日一時間」に近い事を親に言われて育った人もいるのではないでしょうか。
僕はまさにそんな家庭で育ちました。
水曜日は一切ゲームをできない日、という決まりもありましたね。
ではそれによって僕はゲームに興味を持たない、素晴らしい人間に育ったのかというと、そうではないでしょう。
むしろ、昔ゲームを規制されていた反動で、やりたかったゲームを大人になってから暴食するようにプレイしています。
ゲームに関する記事を書くブログまでやっていますからね。
ただ、犯罪者にはなっていませんし、暴力的な行為も好きにはなりませんでした。
僕個人を例に挙げると、ゲームを規制することは良い影響も悪い影響もあったようです。
しかしそれは対象が何であっても同じことです。
サッカーや野球のようなスポーツであろうと、将棋やチェスといったテーブル競技であろうと、映画やドラマなどの作品鑑賞であろうと、それぞれに良い影響も悪い影響もあるでしょう。
スポーツもかかりきりになると学業に響きますし、映画やドラマには残酷な描写もあるでしょう。
ゲームをしていても輝かしい人生を送る人もいますし、していなくても罪を犯してしまう人もいます。
結局はそれらへの関わり方の問題です。
ここに行き着きます。
近年ゲームは一つのコンテンツとして大きな成長を遂げました。
ゲーム実況は仕事だと言えるまでになり、eスポーツプレイヤーは職業だと認められるようになりました。
子供の将来の夢に「youtuber」や「ゲーム制作者」が入ってきているのは子供達の間でもゲームが一定の価値を持っていることを示しています。
(youtuberはゲーム配信するだけではないですが)
(それでも男女共に公務員がランキングに入ってくるのは、何か安心と固定観念を感じます)
この時代の流れを大人たちは嘆かわしいと思うではなく、では子供たちにゲームとどうやって関わるべきなのか、という事を教えられるようになりたいですね。
そのための環境作りこそやるべきことです。
少し前、中国では国営紙が発表した記事によってゲーム業界が大きな影響を受けたということがありました。
この裏には様々な事情があるのですが、教育産業向けの政策の影響があったことは確かです。
子供たちを導くべき大人がこのように大きな力で規制ばかりしている姿を晒すのは、それこそ嘆かわしい事です。
中国で活動するゲームクリエイターの高橋玲央奈氏がこの件に言及した発言に以下のようなものがありました。
(前略)
「精神的アヘン」という言葉が体制批判につながっていること。この言葉はカール・マルクスが「ヘーゲル法哲学批判序論」の中で宗教を批判した1節から採られているはずだが,そこには「宗教は民衆に幸福を与える幻想である。それを破壊するためには,現実に民衆の幸福を求めるべき」──つまり「社会を批判しろ」という旨が書かれている。
したがって精神的アヘンという言葉の背後には本来,「ゲームがアヘンだったら,現実をもっと良くしろ」という体制批判が含まれているというのが高橋氏の見解である。
全くその通りで、ゲームそのものを規制する前に、周りの社会・環境を整えることが大事だと僕は考えます。
以上、ゲーム規制についての雑記でした。
それでは、今回はここまで。