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【雑記】人と人の繋がり

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「初めまして、〇〇です。」

そう挨拶した時、相手に不思議そうな表情が浮かんだことを僕はきっと忘れることができません。
それは人と人の繋がり、付き合い方について僕に考える機会を与える大きなきっかけでした。


インターネットやSNSが普及して随分経ちます。
SNSだと、日本では2000年代に大きな普及(GREEmixi)を見せました。

 

学生時代、すでに携帯電話が学生の間でも普及しており、SNSを利用している人も大勢いたと記憶しています。
僕はほとんど使用していなかったのですが、コミュニティを作って活動している人もいたようで、その流行り具合は何かと耳に入っていました。

 

さておき、それまで人と人の繋がりを支えるのは人や場所であったと思います。
友達の友達。
親の知り合い。
行きつけのお店で知り合う。
仮にこれを「オフラインの繋がり」とします。

 

そして繋がりが生まれるのは、お互いが何者かを知ったときです。
それは名前であったり、出身であったり、職業であったり、趣味であったりと様々。
そのどれかが偽りで会った場合、繋がりは弱くなります。

 

インターネット/SNSが登場してからは、その人/場所がそれらに変わることも多くなったと思います。
同じ趣味を持つ人が発言する掲示板。
特定の人のファンが集まるコミュニティ。
最近ではフォロー/フォロワーという分かりやすい形でのコミュニティも当たり前になってきました。
これは「オンラインの繋がり」。

 

そういった繋がり。
これらに精通していない自分からすると、「オフラインの繋がり」に比べて「オンラインの繋がり」は弱い、と感じています。

 

「オンラインの繋がり」ではほとんどの場合匿名もしくはアカウント名でのやり取りになります。
それは本当の相手ではありません。
相手が「名乗りたい」と思っている名前/存在、であってリアルに存在する相手ではないのです。

 

これを強く意識したのでは最初に書いた体験をした時でした。

 

ある日、友人がSNSで仲良くなった人と会うので一緒に行かないかと誘ってくれました。
創作活動をしている友人は交友関係が広いのですが、その中でも友人/自分に共通する趣味をまた持っている人と会うことになったのだと。

 

僕はそういったSNSのやり取りに慣れていなかったので少し不安でしたが、友人の知り合いならと会うことに。
友人は過去に彼らと何度か会ったことがあったのも後押しになりました。
そして、初めて会ったときに自己紹介をしたのです。

 

「初めまして、〇〇です。」

 

それは本当に何も意識していない自己紹介でした。
(今にして思えば少し断っても良かった)
僕のSNS上のアカウント名を彼らは知らなかったのでそれを伝えても何だかな、と思い苗字を名乗ったのです。

 

しかし、帰ってきたのは言葉ではなく戸惑いの表情でした。

 

友人が慌てて「地元の友達の●●(僕のアカウント名)って言うんだ」と説明をして、彼らはホッとしたような表情をしようやく自己紹介をしてくれました。
もちろん、SNS上のアカウント名で。

 

正直、驚きました。

 

ここはSNSではないのにアカウント名で名乗るというのが当たり前という考えにもそうですし過去に何度もあっている友人と彼らが、お互いの名前も知らないことに驚愕しました。

 

もちろん「オンラインの繋がり」から実際に会う場合、最初は「〇〇(アカウント名)さんですか?自分、●●(アカウント名)です」
といったやり取りは必須でしょう。

 

しかし、何度も会っているのならそれ以外の情報のやり取りをするものではないのでしょうか?
確かにずっとアカウント名で呼び合ってきたのに、リアルだと本名で呼び合うのは違和感があるでしょうが
呼び合わなくても知っているくらいはあっても良いと思います。

 

それなのに、彼らはお互いの本名を知りませんでしたし聞こうと思っているわけでもないようでした。

 

その後夜になるまで彼らとの交流は続きましたが、結局本名には触れずにアカウント名で呼び合うやり取りで終わりました。

 

これはきっと、オフで会うという行為が広まっている現代では「常識」なのだと思います。
個人情報の安易な漏えいは大きな事態に発展することもあり得ます。
そのようなリスクを進んで犯す必要もありません。

 

では、なぜ彼らは会いたかったのでしょうか。

 

実際に会い、話し、視線を交わす。
これは実際に会わないとできないことです。
人と人が繋がりを作るのに必要な行為です。

 

しかし彼らは本名を語らない。
本当の自分を出そうとはしない。
それでは結局繋がりを作る行為も表面上のモノです。

 

僕は彼らの顔を覚えています。
彼らの着ていた服を覚えています。
彼らの話し方を覚えています。
しかし、名前を知りません。

 

きっと何回会ったとしても、本当の彼らを知らない限りそれは変わらないでしょう。
そんな表面上の繋がりを作るための時間なのでしょうか。

 

まるで互いの趣味嗜好を知っているビジネス上の知り合いみたいで少し嫌です。

 

もちろん、そこまでの関係を求めて会うわけでは無い、という人もいるでしょう。
ウマが合いそうだし話したら楽しいと思って取り合えず会ってみる。
それだけの繋がりを考えている人も当然いると思います。

 

しかしそれなら音声通話をして話してもいいはずです。
でもそうはしなかった。
実際に会って、顔を見て、話したいと思った。

 

なのに名前は聞きたくない、言いたくない。
苗字でさえも。

 

この「常識」への疑問は、恐らく邪険に扱われるモノでしょう。
そこまで深く考えて会おうとしているわけでは無い。
人と人の繋がりにそこまでを求めていない。

 

インターネット/SNSの「オンラインの繋がり」は広がりました。
国内のみならず、国外にもそれは容易に届きます。

 

しかし、それと「オフラインの繋がり」が広がることは比例しません。
機会は増えても、それは「オンラインの繋がり」の延長線上であり、
かつ「オフラインの繋がり」へ発展しないことがほとんどです。

 

別の友人に、「SNSは自己顕示欲を消化する場所だよ」と言われたことがあります。

 

ソーシャルネットワーキングは社会的ネットワークを名乗っている割に、自分の出したい自分しか出さない、相手の知りたいところしか知ろうとしないという、何とも閉じた輪を作ってしまっている。

 

オフでの出会いや上記の考えから、その友人の言うことも間違っていないかもと思いました。

 

人との繋がりを求めて始めたはずのSNSは、いつしか閉じた輪を作り出し
築いたと思った繋がりも電子上のモノでしかない。

 

このブログの名前のように、かなり斜めから見た意見かもしれませんが、いくらプラスに考えようとしてもこの思いを消すことはできないでしょう。

 

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ただし、だからこそ、「オンラインの繋がり」から「オフラインの繋がり」を築けた場合、それは本当に大事にすべきものです。

 

「オンラインの繋がり」から結婚することや、大切な友人と出会うことができたという話も少数ながら聞きます。
弱い繋がりでも、表面上の付き合いでも、その中から本当に繋がりたいと思える相手を見つけること、それを大事にすること。


それが、現代の繋がりに必要なスキルなのかもしれません。