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オクトパストラベラー オフィーリア編に見る死生観

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小さなものかもしれません。
ですがその絆が、人を立ち直らせるのです。

 

8人の主人公によってそれぞれの物語が語られたオクトパストラベラー。

 

それぞれに違う魅力があるのですが、僕が特に感動したのがオフィーリア編とサイラス編でした。

 

今回はそのオフィーリア編で感じたことについて書きたいと思います。

 

ネタばれ配慮無です。

 


・絶望と理解
シナリオの中でオフィーリアは、姉妹であるリアナとは本当の家族ではなく、リアナの父ヨーセフに保護された子であることが分かります。

 

両親を亡くしたオフィーリアは絶望の中にいました。


しかし、リアナの励ましとヨーセフの温かさにふれ、感情を取り戻し、日常生活に戻ることができます。

 

シナリオ序盤、式年奉火の儀式に赴こうとしているリアナでしたが 、伏せてしまったヨーセフの看病をしてもらう代わりにオフィーリアが儀式に旅立つことになります。

 

そして物語中盤、オフィーリアは伏せていたヨーセフが亡くなったとリアナから聞かされます。


オフィーリアの説得もむなしく、リアナはショックで邪教の教えに傾倒してしまいます。

 

ここでのリアナの狼狽ぶりと、オフィーリアの立ち直りが対照的で印象に残っています。

 

オフィーリアは本当の両親との別れによって、すでにその絶望を味わっており、かつリアナの尋常ではない狼狽を見て自分がしっかりしなければと立ち直りを見せています。
(もちろん、ショックを受けてはいましたが、両親との急な別れに比べれば覚悟する時間もあったでしょう)

 

リアナの裏切りにも憤ることもなく、理解と説得をしています。

 

逆にリアナは看取るまで傍にいたにも関わらず、父親の死に大きなショックを受けます。

 

かつてオフィーリアが同じ立場におり、自分の言葉で元気を取り戻したとはいえ、彼女は本当の意味でオフィーリアの絶望を理解してはいなかったのです。


だからこそ、あのような励まし方ができたと思うのです。

 

自分がその立場になったとき、彼女はオフィーリアに頼らず邪教の死者復活という教えに傾倒してしまいます。


自分が仕えるべき神と教えは、父親の死という理不尽の前には何の役にも立たないと考えてしまったのです。

 

そしてオフィーリアを騙し、死者復活の儀式に必要な種火を盗みます。

 

どんな人でも、他人が感じている絶望に理解を示すには、同じ絶望を感じていないと不可能である。
これを強く感じました。

 


・去るものと残されたもの 過去と未来
父親が亡くなった事実に耐えられず、リアナは死者復活を夢見て、 邪教の教祖のたくらみに乗せられます。

 

オフィーリアは説得を試みますが、リアナは去ってしまったヨーセフを想うとだめなのだと拒絶します。

 

そこでオフィーリアが思い出した、ヨーセフの生前の言葉・想い。


それをリアナに思い出させることで、リアナはヨーセフへの歪んだ 想いを断ち切り、邪教のたくらみは失敗に終わります。

 

ヨーセフが残した言葉は、


「去りしものは心の中で生き続ける」
「心の中で生きる私を思い出してほしい」

 

オフィーリアはきっと、かつてこの言葉で両親の死と決別できたのだと思います。

そういう描写はありませんでしたが、僕はそう思っています。

 

去ってしまったものを取り戻すことはできないのです。
それは、生命の摂理に反することであり、何よりも神の意志に反する。

 

しかし、心の中で去ったものを想うことはできます。


去ったものは心にとどめ、傍にいる残されたものとの絆を支えに生きていく。

 

オフィーリアは両親と別れてしまいましたが、傍にリアナとヨーセ フがいました。

 

彼らとの絆を支えに、生きていくことができたのです。

 

リアナにとって傍にいる存在は当たり前すぎて、その大切さに気付いていませんでした。

 

しかし、父の死によって絶望を味わった彼女は、去った父の言葉とオフィーリアの励ましで、そのことに気が付けたのです。

 

ラスボスとの戦闘開始時、敵とオフィーリアが会話する場面があります。


このシナリオ屈指の名シーンですが、死を受け入れ未来を見ているオフィーリアと、それを否定する敵がどこまでも対照的です。

 

今と過去にとらわれずに、未来を見る。
これは、サイラス編でも出てきたテーマでした。

 


・ずっと一緒
ラスボス戦後、リアナは邪教の教えを振り切ったとはいえ、依然ふさぎ込んだままです。

 

ここでオフィーリアが、かつて自分がされたように彼女を励まします。


プレイヤがリアナを導く、このゲーム中でも最高のギミックの登場です。

 

かつてリアナに励ましてもらった場所へ赴くオフィーリアとリアナ 。


そこでオフィーリアは彼女に、その時をお返しをします。

 

オフィーリアのそのお返しで、未来を見ることができたリアナ。

 

ここで、「私たちずっと一緒ね」という言葉が出てきます。

 

これには、生きているときも、そしてどちらかが死んだときも、心の中で生き続ける限り一緒をいう意味が込められていると思っています。

 

このとき、初めてリアナとオフィーリアはお互いを真に理解したのでしょう。


同じ絶望を味わい、それを乗り越えた。

だからこそ、ずっと一緒なのです。

 

生きているものの絆。
死んだものとの心の絆。

 

小さなものかもしれませんが、それは人を支えることのできるものなのです。

 


・おわりに
残されたものの生きる希望の答えとしては、この物語で語られていることはありきたりなものです。


いくつも同じような答えが明示されている物語があります。

 

しかし、この物語をゲームのシステムと絡めてプレイヤに見せた。


これによって、プレイヤの感動は何倍にもなりました。

ゲームだからこそ成しえたことでしょう。

 

オフィーリアのシナリオは8人の主人公の中で一番最後にできたそうです。
キャラクタのデザインにも苦労したとのこと。

 

そういった苦労があったからこそ、このような魅力的なシナリオとキャラクタが出来上がったのでしょう。

 

ゲームでは、もっともっとたくさんの感動を味わえる。


その未来を見ることができるオフィーリア編でした。

 

それでは、今回はここまで。