置いていかれる感覚
現代社会の情報加速は青天井。
僕の家にはテレビがありません。
一人暮らしをする上で、コストもかかるし何より、実家にいたときにほとんど見てなかったからです。
実際今のところ必要だと思ったことはありません。
仮面ライダーを見たいとちょっと思ったくらいでしょうか。
けれども、テレビがないことで強く思ったことがあります。
周りとの情報量の差です。
今、情報を手に入れる手段は沢山あります。
それらがある人は、知りたい知りたくないに関わらず様々な情報が頭に入ります。
その情報は世間話だったり、話題に困ったときの話の種だったり、ブログの材料になるわけです。
もちろん、自分の中の知識として蓄積もされますが。
そういった情報が話の中に出てくると、僕は途端に話についていけなくなります。
周りも、まさかテレビを持ってないとは思っておらず(もしくは教えても忘れられてる)、その話題を振ってくるのでそちらも戸惑うことになります。
そのときに、「置いていかれてるなぁ」と感じるのです。
正しくは「置いていかれてる」というより「付いていけてない」ではあるのでしょう。
今の世の中、テレビ、スマホで情報を得ることは「当たり前」ですから。
僕のような情報を自分から得ようとしない人は、その「当たり前」をやっていない怠け者です。
しかし、僕は未だにテレビは欲しいとは思いません。スマホでまとめサイトを見たり、Twitterでトレンドを見たりもしません。
単純に芸能、政治などのニュースに興味がないのもありますが、「置いていかれてる」ことに焦りを感じていないのが大きいと、最近思います。
僕の単純な想像で申し訳ないのですが、情報を集めたがる人は、その「置いていかれてる」感覚に焦りを感じているのではないでしょうか。
「置いていかれ」たくない、周りに「ついていき」たい。
その思いが焦りとなって、情報を貪欲に吸収しているのではないかと思うんです。
現代社会で生きていく上で、それは大切なことになるとは思います。
周りに「ついていけて」いる。それは仕事上の付き合いでしかない人とコミュニケーションをとる上でも欠かせない要素ですし、「当たり前」と社会に思われています。
そして、今の世の中、情報を持っているということは、すなわち大きな武器にもなりますからね。
そんな中で僕のような怠け者はとても生きづらいと思います。
武器という武器も持たず、テレビを持っていないという口実の防具で耐えています。
でも、武器を持たない僕でも、まだ生きていける社会なので、テレビはいらないです。
情報社会は青天井ですが。
もし、防具が壊れるほどの武器が振られる社会になったら…
そのときは武器を振りましょうか。
それでは、今回はここまで。